ハム活動記

同期会を終えて

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今朝ベランダからの富士

50年ぶり 15歳で卒業した中学校の同窓会を65歳になった今開催した

幹事の皆さんには2年越しの準備で、卒業生の消息を調べ歩いたそうだ

最初は近くの友人、そして友人の友人・・・など、手間暇が思った以上にかかった

400名の内半分の200名が判明 約1割の40名弱が物故者、同期会に出席はその半分の100名であった。

孫の七五三や運動会など丁度忙しい10月に行ったのが原因かもしれない

物故者の中には多額の借金で自殺したり、大病をやんだりといった友人。

また、事業で大成功を収めた人、反対に失敗した人、

65歳はリタイヤの歳でもあり、既に晴耕雨読の人、まだまだ最前線で仕事している人など様々であった。

中々思い出せなかった友人の顔も少しずつ思い出した。
当時のいたずら小僧は今もいたずらな性格はそのまま。
おとなしかった人は今も落ち着きがある。
頭の良かった勉強の出来た友人は中央官庁を止め天下りで悠々自適。

男はそれなりに苦労が顔に出ていて人生そのものが人を作る事を改めて感じたが、女性に関しては全く見当が付かなかった。

当時、大変モテモテの女性はそれなりに今もキレイであったし、特徴の有る顔立ちの女性は更に特徴的に・・・

初恋の女性を見たときには当時の胸の高まりを感じさえしたが、今は幸せかなぁ?とも思い、二言三言挨拶を交わすだけで精一杯であった。
自分にも青春時代があったんだ!と思うと急に気持ちだけが若返った。

さて、50年前、今の自分を想像できただろうか?

私の中学時代はサッカーと勉強だけであったような気がする。
サッカー部は同じ部落の一つ上の先輩達の中に入って楽しかった。

また、近所のアマチュア無線家の影響で無線機を作ったり・・・と、大変忙しい中学校生活を送った。

進学は電気の勉強をしたくて電気関係を教えてくれる学校を選んだ、そしてサッカーも同時に良い指導者のいる学校を・・・

で、今思えば・・・

その後の就職、サッカー、趣味などを思えば、良かったと言える。

就職先の富士通でサッカーとコンピューター。特にコンピューターの知識を得られたのは今の事業に大変役になっている。

サッカーは48歳までそれなりに拘わる事が出来たし、スポ少監督を10年、卒団生は100人を超える、既に大半は結婚して、一家を支えている事だろう。

何処へ行っても、教え子達に会い挨拶されるので、馬鹿なことは出来ない・・・

話は元に戻すが、「人生には無駄は無い」と言われるが、同期会の皆さんと会いそれぞれの充実した人生に乾杯したいと思う

紅葉の綺麗なこの季節、青春が春とすれば65歳の今は丁度今頃、紅葉の綺麗な頃かと思う

未だ未だ、必要とされている年代、この先毎年開催されるであろう同期会に毎回出席しみんなの元気な顔を見てみたい。


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Last-modified: 2018-11-01 (木) 16:24:45 (14d)